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 『ときどき、生きていることに飽いたのね。女はそっけなく答える。朝から晩まであくせく働いて、あくせくしていることにも気づかないで、自分が何によろこぶのかも知らず、ひとの心の奥を感じることもなく、自分に心の奥があることにも気づかず、ただ時間をすごしていた、そのことに、飽いたのね。』

川上弘美の「真鶴」という小説を読んでいて、怖いなあと思った文章です。怖いと思ったのはたぶん、心あたりがあるから。
こういうどきりとする表現に出会える読書は良いです。ぐんぐん引き込まれていく感じが好き。
「あかるいさみしさ」という表現も出てきて、とても気になりました。聞きなれない言葉。

 川上さんの文はひらがなの割合が多いので、一見やわらかい印象なんですが、この小説を読んでいて感じるのは、生きている不穏さというか、穏やかで静かな日々のすぐとなりに、あの世めいた気配が存在してるとか、そんなようなことです。この方の「蛇を踏む」って作品を読んだときも同じことを思ったんですが、現代を舞台にしてるのに、昔話風というか、御伽噺を読んでるような気分になるのです。
 やさしげな言葉でするする綴られていく不穏なお話。


自分が惹かれるものにはどこか「怖さ」を含んだものが多いなあ、ってよく思います。血がブシューみたいな、そういうものじゃなく、もっと見なれない、得体の知れないものとか、ひっそりとした怖さ。謎めいてると感じるものも好きだけど、全貌がわかってしまうと途端に冷めるかも・・・だから、わかりやすくて全部を説明してくれるような小説や映画は自分からあまり手を出さないのか、と思ったり。

なんだか抽象的な文になりました。。
2015.01.30 | 読書 | Comment:0 | TrackBack:0
お久しぶりです。

最近何を思ったか、NARUTOのコミックスを1巻から読み返してます。
読みながら、やっぱり自分はこの漫画好きだなーって思ってます。
そして、群像劇を描ける人ってすごいなあと。

NARUTOに出てくる人はわりとコンプレックスを持ってる人が多くて、最初は自信がなくてうつむいてたりするけど、そばでその人のいいところを見ていてくれる人が一人はいて、心を救ってくれているのがすごくいいなあ、って、特に初期のお話を読むと思います。あと、バトル!なシーンの絵とかとてもかっこいいっていうのに目がいきがちになるけど、登場人物の心の描き方が繊細なとこも好きです。当人が知らないところで何気なくお互い気遣ってたり、やさしい子が多い・・・後の人間関係の変化とか既に知ってると、切なくなるようなとこもあります。。

話がずれましたが、何が言いたかったかというと、気持ちが後ろ向きになりそうなとき読むと、心を奮い立たせてくれるような場面がいっぱいある!と言いたかったのです。
リアルタイムで読んでたとき、私はなかなかクソガキだったので「熱血とかいいし、べつに」みたいなのが心の中にあり、めちゃくちゃ努力してる人にあんまり感情移入しないで読んでました…^^;
でも今読むとまるで逆で、めちゃくちゃ努力してるキャラクターが出てくると見習いたい気持ちになってきます。私もがんばらなくちゃな~って気持ちになれるんです。漫画だとどうしてこう素直に受け止めれるのか・・・orz

現在、生活の基盤を整えたいと仕事をさがしていて、どうにもこうにも手探りな状態なんですが、NARUTOを読んで心根をしゃんとする力をもらいながら、がんばろうと思います。
2015.01.22 | マンガ | Comment:0 | TrackBack:0
私の絵は描き始めるときにあらかたイメージが固まってしまっていて、目に見える変化があまりないため、描いてる絵の途中経過をのっけておもしろいんかなーと思ったのですが。。気まぐれでたまには載せてみます。

こちらの絵のメイキング的なものです。↓
木製B5パネルにアクリル絵の具で描いてます。

toribranco60.jpg







IMG_20141203_154741.jpg
①パネルの表面に軽くやすりをかけて、刷毛でジェッソ(下地剤)を塗ります。乾いたら、絵の背景になる色を塗ります。一度ではムラになるので、2度重ねて塗るとだいぶきれいになります。


IMG_20141203_154926.jpg
②パネルの大きさに合わせて紙に鉛筆で下絵を描きます。今回はダイレクトに描いてしまいましたが、クロッキー帳などに
描いたものを元にすることもあったり、まちまちです。


IMG_20141203_160141.jpg
③下絵の上にトレーシングペーパーを固定して、下絵を鉛筆でなぞります。ひととおり線をなぞったら、そのトレーシングペーパーをパネルの上に固定して、パネルとトレーシングペーパーの間に製図用のチャコペーパーを挟みます。その状態でトレーシングペーパーの下絵の線を、ボールペンなどで強めになぞります。


IMG_20141203_160336.jpg
④すると、パネルに下絵の線が写ります。この画像ではちょっと見えづらいですが・・・
 この下絵の線を写す段階で、微妙な位置調整ができたりするのでけっこう便利です。チャコペーパーも何回も使えるので、あると便利!


IMG_20141203_160513.jpg
⑤細めの筆で、うすーくうすーく色を塗っていきます。


IMG_20141203_160609-1.jpg
⑥色を重ねて、だんだん濃くしていきます。この絵は面積が広いところがほぼないので、太目の筆はほとんど使わずに描いてます。


IMG_20141203_160810.jpg
⑦だいぶ色が乗ってきました。



IMG_20141203_161034.jpg
⑧細かい部分を描き込んで、完成です。



・・・と、ざっとこんな感じで描いてます。
今回は慎重に下絵を写す段階を踏んだりしてますが、板とかパネルに直接描く場合にこの方法を使うことが多いです。

見ていただき、ありがとうございましたm(_ _)m

2014.12.03 | 絵とか | Comment:0 | TrackBack:0
このブログで本の感想をずっと書いてなかったのですが、面白い読書ができたので久々に感想なぞ書こうと思います。

昔から推理小説というものを本当に読まない人間なのですが、気分を変えて普段読まないような本を読みたい、と古本屋で買ってきたのが、森博嗣さんの『有限と微小のパン』という小説です。
S&Mシリーズという有名なシリーズの1作…というか、手にしたところがいきなりシリーズ最終章だった、っていうなかなかのドジを踏みましたが(笑)、900ページ近くある厚さなのに関わらず、すいすい読んでしまいました。こんなに夢中になって小説を読んだのはとても久しぶりでした。(ちょうど今テレビの方で「すべてがFになる」のドラマがやってるっていうのもちらっと頭の片隅にあったことは確かですが・・・というよりもドラマの冒頭を見ていたので、すんなり小説に入っていくことができたのでよかったかも)

なんでしょう、、、お話としてはすごく理系に寄っているのですが、理系科目が苦手でしょうがなかった私でもかなり読みやすかったです。数学的な話やコンピュータの話が何度も出てくるし、物事を合理的に考えよう、処理しようという場面がたくさんあるけれど、不思議と冷たい印象は受けず、コンピュータやロボット、バーチャルリアリティから翻って人間ってなんだろうって読みながらたくさん考えさせられました。
このシリーズの登場人物の真賀田四季博士に私はすごく興味を惹かれたんですが、その時点でもうこの小説を面白く読める気がしてしまうほど、強烈なインパクトが真賀田博士にはありました。

ミステリーのドラマなんか見ても、私は登場人物と一緒に事件を推理したりせず(そもそも推理できない)、ただただ見てるだけっていうスタンスなんですが、この小説はトリックがメインというよりも、登場人物のやりとりや(特に真賀田四季が出てくる場面の登場人物の会話など)、彼らが事件を通して考えたり語ったりすることがとても面白く興味深く、こちらの好奇心を刺激されるというか、そういう部分が魅力的でした。読みながら、思わず線を引っ張ってしまった箇所があるほど(笑)
印象的だった言葉はたくさんあるんですが、そのなかの「天才の定義」について書かれたところで、少し思うところを書きます。


真賀田博士は世界を震撼させた天才プログラマとして作中に出てくるわけですが、博士を自分の経営する会社に匿っている塙理生哉(はなわ りきや)という人物が「天才とはどういうものなのか」を、以下のように語る部分があります。

『…人格が混ざっていない。人格だけじゃない、すべての概念、価値観が混ざっていないのです。善と悪、正と偽、明と暗。人は普通、これらの両極の概念の狭間にあって、自分の位置を探そうとします。自分の居場所は一つだと信じ、中庸を求め、妥協する。けれど、彼ら天才はそれをしない。両極に同時に存在することが可能だからです』

『目に見える自分の躰が一つしかない、そこから、生命は一つという概念が生まれます。死ぬときには躰全部が一緒だと規定する。だから、生きているときも一人。その錯覚が、人間の能力を規制する。制限するのです。悲しいときには、楽しんではいけない。怒っているときは、嬉しくない。良いと決めたら、もう悪くはない。より新しい情報で、古い情報を書き換える。 (略) この単純化を伴う統合に、自らの能力を抑制する。それが普通の人間です。ところが、彼ら天才はそれをしない。それが不合理で不自由だと、子供のときから知っているからです』

…なんだか難しい話ですが、要は、人間というのは内にさまざまな自分を持ってはいるけれど、ふつうはそれら全部を把握していることができないから、「この一人が自分なのだ」と決めておくことで状態をわかりやすくしている。そのことが個人の能力を狭めてしまっている、ということかなあ、と解釈しました。
あらゆる物事を単純にして、わかりやすくしないと、多くの人に伝えることができないから、世の中はそのように成り立っている、という話も出てきました。それがいわゆる「常識」と呼ばれるものなんでしょう。天才はあらゆることを単純化しなくても認識でき、常識を簡単に飛び越える、ということらしいです。

確かに、「物事を一つに決める」というのは、生きている上で楽なんだろうなあと思います。固定して、動かないようにしてしまえば、それ以上考えることがない。思考することが止まるからです。
でも、動かないよう固定してしまうことで、たくさんのものが見えなくなってしまうということが想像できます。

上に引用したセリフの内容がどうして気になってしまったのかというと、実際、自分も歳をとって、生きている時間が少しずつ長くなる上で、常識を受け入れて、物事をこういうものだって決めつけて、生きていくうえで役に立たなそうなことに価値を見いだせなくなってきたという実感がものすごくあるからだと思います。


おおまかに言うとですが、この小説の中で、自分は一人だ、(物事の)意味は一つだ、と決めつけずに、あらゆることを受け入れられるのが天才である、ということになるわけですが、天才はもしかすると、子供にとても近いところにいるんじゃないかと、ふと思ったのです。
ちいさな子供は世界についてまだまだ知らないことがたくさんあって、大人のように常識的なことを了解していません。つまり、物事の意味を一つに決めつけるということをしていない、固まっていない存在なんだと考えると、天才の存在ととても似ているように思えます。天才は、子供のような視点を失わずに大人でいられる人間、という考え方もできるかなあ、と。

意味を一つに限定したり、わかりやすくして飲み込むことにすっかり慣れてしまうと、わかりづらいもの、役に立たないものはどんどんと切り捨てられてしまい、価値があるものとないものとがはっきりと分けられていってしまう気がします。
ここ数年で、自分自身の興味のあったものが明らかに変化した…というか、興味の範囲が狭まってしまったように感じていたのはこういうことだったのかしら、と、この小説を読んで腑に落ちたように感じたのです。意識を広げていられれば、世界はもっと広いって、知っていたはずなのに……なんだか、そう考えるとさびしいですね。
大人になってから、年齢を重ねていってから、より多くの物事を吸収するということは、思っているよりずっと難しいのかもしれません。
この小説を読みながら、あちらこちらで感じたもの悲しさはこのためかな、と、この文を書きながら思ったり。




なんだか抽象的でとりとめのないことをずらずらと書いてしまいましたが(論文か)、こんなふうに考えることのきっかけがたくさん詰まっている、私にとってはとても刺激的な読書でした^^
気力が続けば、このS&Mシリーズを全部読破したいな~とひそかに思ってます。
結局小説自体の感想にはなってないなー(^^;)まあいいか…
拙い長文お読みいただき、ありがとうございました。










2014.11.24 | 読書 | Comment:0 | TrackBack:0
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どこへも行けないけれど、どこかへ行こうという気力もないのでしょ。


身体はずっとここにあって

頭の中だけでいろんな世界を行き来する。


暗くてあたたかい場所で冬眠するように体を丸めて、おやすみなさい。

寂しいけれど、ここは安全なの。



安全と安心がまるでちがうものだってことは、とうに知っているけれど。
2014.11.15 | 日常 | Comment:0 | TrackBack:0
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