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絵というか、人が生み出した創作物について思うことをすこし。


 物語とか小説とか絵とか映画とか音楽とかお芝居とか漫画とか、なんでもいいんですけど、自分がどうも気になってふらふら~と惹かれてしまうものってどういうものだろ、と考えたときに、どこかにひとかけらの寂しさや不安を含んでいるものが多いなあ、と思ったのです。そういうものに触れるときは決まって心がざわざわするのだけど、同時に妙に落ち着いたりします。

 世の中では、心を鼓舞してつよくあかるくしてくれるものや、やさしく癒してくれるものを求める人の方がきっと圧倒的に多いんだろうと私は思うのですが、うす暗さの中に癒しや希望を見出すアプローチの仕方があったっていいんだ、と今まで惹かれたなんらかの作品からだんだん思うようになりました。

多くの人が支持するほうへ、常に合わせよう合わせようとするのが苦しい、とよく感じます。
苦しいと感じるということは、無意識に多くの人の一部になれるように、合わせようとしているんだよなあと思います。合わせようとするのは、浮いてしまうことに対しての勇気や覚悟がないからです。矛盾しかしていない。

生きていて思うように自分を出すことが難しいのだったら、自分が作るものだけはせめて自由に、誰にも遠慮せずに表現したいものだなあ、と思いながら絵を描いています。生きているかぎり、「これをしたからもう心配することは何もない」ということはないし、ゴールというものが明確に存在するわけでもないし、「不安」につきまとわれていくのはもう運命のようなものだから、どうせなら「不安」に寄り添う絵を描いていきたい、と考えがいつになくまとまって腑に落ちたような気がしました。描きたいように描いていいんだと思って描けるから、素直になれるから、私は絵を描くことが好きだし、絵を描いている自分も好きです。ほかの何にも自信がなくても、それだけははっきりしています。

 そういう考えのもとで絵を描いているのは、とても開かれた状態とは言えないと自分で思います。とても閉じた向き合い方だと思います。だから仕事として絵を描きたいって思わないし、何か制約をつけられたりもしたくないのです。そこだけは、縛られないでいたいのです。いまはそんな気持ちです。自分の絵で何かを展開したいという欲がない。
 「絵でお金を得る」ということに囚われて、絵を描くことに嫌気がさして、描かなくなった時期があったのはやっぱりそういうことかなと後になって思ったりするわけで。

 昔もいまも、明確にどうなりたい、こういう者になりたいというのがよくわかりません。
 でも昔に比べて、自分の心が動くものと、生活のための手段は別にすべきだ、という方向に考えがいくらかまとまったとは思います。それだけでも、絵を描くということについては解放されていると感じるし、どういう絵が本当に描きたい絵なのかも自分の中でまとまりつつある気がしています。

 
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