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 『ときどき、生きていることに飽いたのね。女はそっけなく答える。朝から晩まであくせく働いて、あくせくしていることにも気づかないで、自分が何によろこぶのかも知らず、ひとの心の奥を感じることもなく、自分に心の奥があることにも気づかず、ただ時間をすごしていた、そのことに、飽いたのね。』

川上弘美の「真鶴」という小説を読んでいて、怖いなあと思った文章です。怖いと思ったのはたぶん、心あたりがあるから。
こういうどきりとする表現に出会える読書は良いです。ぐんぐん引き込まれていく感じが好き。
「あかるいさみしさ」という表現も出てきて、とても気になりました。聞きなれない言葉。

 川上さんの文はひらがなの割合が多いので、一見やわらかい印象なんですが、この小説を読んでいて感じるのは、生きている不穏さというか、穏やかで静かな日々のすぐとなりに、あの世めいた気配が存在してるとか、そんなようなことです。この方の「蛇を踏む」って作品を読んだときも同じことを思ったんですが、現代を舞台にしてるのに、昔話風というか、御伽噺を読んでるような気分になるのです。
 やさしげな言葉でするする綴られていく不穏なお話。


自分が惹かれるものにはどこか「怖さ」を含んだものが多いなあ、ってよく思います。血がブシューみたいな、そういうものじゃなく、もっと見なれない、得体の知れないものとか、ひっそりとした怖さ。謎めいてると感じるものも好きだけど、全貌がわかってしまうと途端に冷めるかも・・・だから、わかりやすくて全部を説明してくれるような小説や映画は自分からあまり手を出さないのか、と思ったり。

なんだか抽象的な文になりました。。
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2015.01.30 | 読書 | Comment:0 | TrackBack:0
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