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このブログで本の感想をずっと書いてなかったのですが、面白い読書ができたので久々に感想なぞ書こうと思います。

昔から推理小説というものを本当に読まない人間なのですが、気分を変えて普段読まないような本を読みたい、と古本屋で買ってきたのが、森博嗣さんの『有限と微小のパン』という小説です。
S&Mシリーズという有名なシリーズの1作…というか、手にしたところがいきなりシリーズ最終章だった、っていうなかなかのドジを踏みましたが(笑)、900ページ近くある厚さなのに関わらず、すいすい読んでしまいました。こんなに夢中になって小説を読んだのはとても久しぶりでした。(ちょうど今テレビの方で「すべてがFになる」のドラマがやってるっていうのもちらっと頭の片隅にあったことは確かですが・・・というよりもドラマの冒頭を見ていたので、すんなり小説に入っていくことができたのでよかったかも)

なんでしょう、、、お話としてはすごく理系に寄っているのですが、理系科目が苦手でしょうがなかった私でもかなり読みやすかったです。数学的な話やコンピュータの話が何度も出てくるし、物事を合理的に考えよう、処理しようという場面がたくさんあるけれど、不思議と冷たい印象は受けず、コンピュータやロボット、バーチャルリアリティから翻って人間ってなんだろうって読みながらたくさん考えさせられました。
このシリーズの登場人物の真賀田四季博士に私はすごく興味を惹かれたんですが、その時点でもうこの小説を面白く読める気がしてしまうほど、強烈なインパクトが真賀田博士にはありました。

ミステリーのドラマなんか見ても、私は登場人物と一緒に事件を推理したりせず(そもそも推理できない)、ただただ見てるだけっていうスタンスなんですが、この小説はトリックがメインというよりも、登場人物のやりとりや(特に真賀田四季が出てくる場面の登場人物の会話など)、彼らが事件を通して考えたり語ったりすることがとても面白く興味深く、こちらの好奇心を刺激されるというか、そういう部分が魅力的でした。読みながら、思わず線を引っ張ってしまった箇所があるほど(笑)
印象的だった言葉はたくさんあるんですが、そのなかの「天才の定義」について書かれたところで、少し思うところを書きます。


真賀田博士は世界を震撼させた天才プログラマとして作中に出てくるわけですが、博士を自分の経営する会社に匿っている塙理生哉(はなわ りきや)という人物が「天才とはどういうものなのか」を、以下のように語る部分があります。

『…人格が混ざっていない。人格だけじゃない、すべての概念、価値観が混ざっていないのです。善と悪、正と偽、明と暗。人は普通、これらの両極の概念の狭間にあって、自分の位置を探そうとします。自分の居場所は一つだと信じ、中庸を求め、妥協する。けれど、彼ら天才はそれをしない。両極に同時に存在することが可能だからです』

『目に見える自分の躰が一つしかない、そこから、生命は一つという概念が生まれます。死ぬときには躰全部が一緒だと規定する。だから、生きているときも一人。その錯覚が、人間の能力を規制する。制限するのです。悲しいときには、楽しんではいけない。怒っているときは、嬉しくない。良いと決めたら、もう悪くはない。より新しい情報で、古い情報を書き換える。 (略) この単純化を伴う統合に、自らの能力を抑制する。それが普通の人間です。ところが、彼ら天才はそれをしない。それが不合理で不自由だと、子供のときから知っているからです』

…なんだか難しい話ですが、要は、人間というのは内にさまざまな自分を持ってはいるけれど、ふつうはそれら全部を把握していることができないから、「この一人が自分なのだ」と決めておくことで状態をわかりやすくしている。そのことが個人の能力を狭めてしまっている、ということかなあ、と解釈しました。
あらゆる物事を単純にして、わかりやすくしないと、多くの人に伝えることができないから、世の中はそのように成り立っている、という話も出てきました。それがいわゆる「常識」と呼ばれるものなんでしょう。天才はあらゆることを単純化しなくても認識でき、常識を簡単に飛び越える、ということらしいです。

確かに、「物事を一つに決める」というのは、生きている上で楽なんだろうなあと思います。固定して、動かないようにしてしまえば、それ以上考えることがない。思考することが止まるからです。
でも、動かないよう固定してしまうことで、たくさんのものが見えなくなってしまうということが想像できます。

上に引用したセリフの内容がどうして気になってしまったのかというと、実際、自分も歳をとって、生きている時間が少しずつ長くなる上で、常識を受け入れて、物事をこういうものだって決めつけて、生きていくうえで役に立たなそうなことに価値を見いだせなくなってきたという実感がものすごくあるからだと思います。


おおまかに言うとですが、この小説の中で、自分は一人だ、(物事の)意味は一つだ、と決めつけずに、あらゆることを受け入れられるのが天才である、ということになるわけですが、天才はもしかすると、子供にとても近いところにいるんじゃないかと、ふと思ったのです。
ちいさな子供は世界についてまだまだ知らないことがたくさんあって、大人のように常識的なことを了解していません。つまり、物事の意味を一つに決めつけるということをしていない、固まっていない存在なんだと考えると、天才の存在ととても似ているように思えます。天才は、子供のような視点を失わずに大人でいられる人間、という考え方もできるかなあ、と。

意味を一つに限定したり、わかりやすくして飲み込むことにすっかり慣れてしまうと、わかりづらいもの、役に立たないものはどんどんと切り捨てられてしまい、価値があるものとないものとがはっきりと分けられていってしまう気がします。
ここ数年で、自分自身の興味のあったものが明らかに変化した…というか、興味の範囲が狭まってしまったように感じていたのはこういうことだったのかしら、と、この小説を読んで腑に落ちたように感じたのです。意識を広げていられれば、世界はもっと広いって、知っていたはずなのに……なんだか、そう考えるとさびしいですね。
大人になってから、年齢を重ねていってから、より多くの物事を吸収するということは、思っているよりずっと難しいのかもしれません。
この小説を読みながら、あちらこちらで感じたもの悲しさはこのためかな、と、この文を書きながら思ったり。




なんだか抽象的でとりとめのないことをずらずらと書いてしまいましたが(論文か)、こんなふうに考えることのきっかけがたくさん詰まっている、私にとってはとても刺激的な読書でした^^
気力が続けば、このS&Mシリーズを全部読破したいな~とひそかに思ってます。
結局小説自体の感想にはなってないなー(^^;)まあいいか…
拙い長文お読みいただき、ありがとうございました。










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2014.11.24 | 読書 | Comment:0 | TrackBack:0
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